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外国出身者へのインタビューアーカイブ

震災復興版Gyro「がんばろう福島」と「FukushimaNOW」で紹介した外国出身者へのインタビューをまとめました。

※登場する方の居住時等は、取材時のものです。

No.名前出身国居住地取材日
105徐 銓軼さん中国・上海出身三島町在住2020年12月16日取材
104八巻 ジャネット ピレーさんフィリピン・マニラ出身福島市在住2020年10月27日取材
103エスティナ・カテンゲザさんマラウイ・ブランタイヤ出身南相馬市在住2020年6月20日取材
102シルヴィア・ギャラハーさんニュージーランド出身いわき市在住2019年12月26日取材
101梁 姫淑さん韓国出身福島市在住2019年10月取材
100スティーブ寺田さんアメリカ出身福島市在住2019年5月取材
99ズィモン・エスラーさんドイツ出身福島市在住2019年2月取材
98高橋リリアナさんメキシコ出身相馬市在住2018年9月取材
97大屋直美さんカナダ出身福島市在住2018年5月取材
96ヤーパカー・ティラナンさんタイ出身福島市在住2018年2月取材
95フランシス・アミモ・オコティさんケニア出身二本松市在住2018年2月取材
94ジェニファー ビショップさんアメリカ出身伊達市在住2017年11月取材
93ファン ヴァン タインさんベトナム出身会津若松市在住2017年11月取材
92岩澤 クリスティーナさんフィリピン出身白河市在住2017年8月取材
91荒井 ソニア 直美さんブラジル出身会津若松市在住2017年8月取材
90メルセデス・クリュースさんアメリカ出身福島市在住2017年2月取材
89工藤 ジョセフィーナさんフィリピン出身郡山市在住2017年2月取材
88ベン・ストレイニッチさんカンボジア出身福島市在住2016年11月取材
87ゾーイ・ヴィンセントさんイギリス出身福島市在住2016年11月取材
86イスマイル・パフミさんインドネシア出身福島市在住2016年8月取材
85斎 立芳さん中国出身福島市在住2016年8月取材
84後藤キャサリンさんフィリピン出身震災時は福島市在住、現在は大阪市在住2016年2月取材
83手塚 玲子さん中国出身福島市2016年2月取材
82アリソン・ラムさんオーストラリア出身福島市2015年11月取材
81ムダシル バフィットさんスーダン出身福島市2015年11月取材
80李 莉岩さん中国出身郡山市2015年11月取材
79後藤麗華さん中国出身福島市2015年6月取材
78ファイサル ブリディ アルマンシャさんインドネシア出身福島市在住2015年6月取材
77佐々木マリセルさんフィリピン出身福島市2015年6月取材
76鈴木ミラソルさんフィリピン出身いわき市2015年2月取材
75呉 傑さん中国内モンゴル自治区出身福島市2015年2月取材
74タパ・ビニータさんネパール出身福島市2015年2月取材
73芟花・ナンシー・幸さんブラジル出身会津若松市2014年11月取材
72サイブヤン・オドバヤルさんモンゴル出身福島市2014年11月取材
71澤上チャンさんベトナム出身郡山市2014年11月取材
70バズ・モハマドさんパキスタン出身福島市2014年10月取材
69エマ・ウィルソンさんイギリス出身川俣町2014年10月取材
68ウィルアム・パトリック・ティムズさんイギリス出身矢祭町2014年10月取材
67ウィリヤキッスントン・レークリットさんタイ出身福島市2014年5月取材
66美谷マリアさんフィリピン出身福島市2014年5月取材
65ウォン・チャンソプさん韓国出身福島市2014年5月取材
64コラソン ラソン のり子さんフィリピン出身福島市2014年5月取材
63鷲尾麗さん中国出身郡山市・震災時は川内村在住2014年3月取材
62バトエルデネ・ラムヤンジンさんモンゴル出身福島市2014年2月取材
61丹野ジュリエットさんフィリピン出身いわき市2014年3月取材
60寺田パニーダさんタイ出身郡山市2013年11月取材
59大倉リンさんフィリピン出身福島市2013年12月取材
58閔 晟彦さん中国出身福島市2013年12月取材
57河野惠子さん中国出身福島市2013年8月取材
56本田直木さんフィリピン出身福島市2013年8月取材
55劉 芳さん中国出身福島市2013年7月取材
54志賀麗さん中国出身会津若松市・震災時は大熊町在住2013年5月取材
53川村エミーさんアメリカ出身福島市2013年5月取材
52アダム・ヴェリンさんカナダ出身福島市2013年5月取材
51趙 ヨン姫さん韓国出身郡山市2013年3月取材
50チャミラ・カルナティレイクさんスリランカ出身会津若松市2013年2月取材
49タメリア・ブラントさんアメリカ出身いわき市2013年2月投稿
48赵宇浩 さん中国出身福島市2013年1月取材
47中田ジェーンさんニュージーランド出身いわき市2013年1月投稿
46ジャレッド・ロジャーズさんアメリカ出身須賀川市2012年12月取材
45猪俣和美さんベトナム出身会津美里町2012年11月取材
44菅野エリさんパラグアイ・アルゼンチン出身福島市2012年10月投稿
43佐々ベンジャマスさんタイ出身福島市2012年10月取材
42スコット・アルガードさん カナダ在住2012年9月投稿
41ラウン・ソチャッタさんカンボジア出身郡山市2012年9月投稿
40佐藤シャヒッドさんパキスタン出身南相馬市2012年9月取材
39佐藤ワラポーンさんタイ出身伊達市2012年8月投稿
38原田アヤ子さんブラジル出身福島市2012年7月取材
37後藤キャサリンさんフィリピン出身福島市2012年7月取材
36山本ミカさん韓国出身福島市2012年7月取材
35マーク・スミスさんイギリス出身会津若松市・震災時は富岡町在住2012年6月取材
34服部秀子さん中国出身二本松市2012年6月取材
33徐 秀蓮さん韓国出身福島市2012年5月投稿
32星レニーさんインドネシア出身福島市2012年5月取材
31チャン・ドアン・ズンさんベトナム出身福島市2012年4月取材
30ガラール・アハマドさんエジプト出身福島市2012年4月投稿
29石田セシリアさんブラジル出身福島市2012年4月投稿
28城坂 愛さん中国出身須賀川市2012年4月取材
27森合パッサダさんタイ出身郡山市2012年4月取材
26真歩仁しょうんさんカナダ出身福島市2012年3月取材
25三瓶純恵さん中国出身福島市・震災時は浪江町在住2012年3月取材
24ガラール・アハマドさんエジプト出身福島市2012年2月取材
23永田リセさんトンガ出身いわき市2012年2月取材
22ロペス・ケンさんフィリピン出身福島市2012年1月取材
21徐京美さんアメリカ出身いわき市2012年1月取材
20菅野正美さんフィリピン出身二本松市2011年12月取材
19張 群さん中国出身福島市2011年12月取材
18チンタカ クマーラさんスリランカ出身郡山市2011年11月取材
17朱雲飛さん中国出身福島市2011年11月取材
16崔瑜娜さん韓国出身福島市2011年10月取材
15小島 エウリパ アパレシダさんブラジル出身福島市2011年10月取材
14アンドリュー チャップマンさんアメリカ出身会津若松市2011年9月取材
13高橋リリアナさんメキシコ出身相馬市2011年9月取材
12ルイス グスターボ オリベィラさんブラジル出身福島市2011年8月取材
11ジーン・リュさんアメリカ出身新地町2011年8月取材
10徐 秀蓮さん韓国出身福島市2011年6月取材
9サンジェイ・パリークさんインド出身郡山市2011年6月取材
8劉 延廷さん中国出身福島市2011年6月取材
7石田セシリアさんブラジル出身福島市在住2011年6月取材
6シャルマ ナレンダルさんインド出身福島市2011年6月取材
5クロイ ウッディングさんイギリス出身郡山市2011年6月取材
4高橋イエティさんインドネシア出身川俣町2011年6月取材
3呂学如さん中国出身月舘町2011年6月取材
2後藤キャサリンさんフィリピン出身福島市2011年5月取材
1手塚玲子さん中国出身福島市2011年4月取材

※登場する方の居住時等は、取材時のものです。

その他のインタビューは震災復興版Gyro「がんばろう福島」と「FukushimaNOW」に掲載されています。

No.64コラソン ラソン のり子さん(福島市・フィリピン出身/2014年5月取材)

福島市内で英会話スクールを主宰して20年近くになります。かつての教え子のお子さんが通ってくれることもあります。近年はずっとやりたかった社会奉仕活動にも力を入れることができて、母国の小学校建設に関わりました。

私が日本に来た頃は、まだ外国人が少なかったため、言葉や文化の違いだけでなく、人と向き合うことでの些細なことなど様々なことに苦心しました。福島で暮らす同郷の友人の相談にのることが度々ありますが、そのような時は自分の経験が生かされていると感じます。

私のモットーは、「大変」という言葉を使わないことと、いつも笑顔で夢と希望を持つことです。東日本大震災はとてもショックな出来事でしたが、毎朝、祈りとともに、今日1日をどのように素敵に過ごすかを考え、嫌なことは考えないようにしています。

No.51趙 ヨン姫さん(郡山市・韓国出身/2013年3月取材)

東日本大震災後、県内に住む外国出身の友人のほとんどは一時帰国や福島を離れましたが、私には「帰国する」「避難する」という選択はありませんでした。 その選択は今も間違っていなかったと思っています。私は17年郡山市で家族と暮らしているので、「外国人(韓国人)」ということより「郡山市民」である意識が強いです。

現在、私は郡山市や矢吹町の公民館などで韓国語や韓国料理教室の講師をしています。震災があってからは、何か夢中になることがあれば人は元気になれるということに気づかされました。私の講座を受講してくださるみなさんそれぞれが目的をもって意欲的に参加してくださるので、私はみなさんの力になりたいと思っています。4月から新しい講座がスタートしますし、韓国語を教えている高校も新学期となるので、また新たな出会いが生まれます。今からとても楽しみです。

No.47中田ジェーンさん(いわき市・ニュージーランド出身/2013年1月投稿)

もう大丈夫だと思えるようになったので、また小名浜港に行ってきました。1年が経ち、小名浜港に行くことに対し、緊張も薄れてきましたが、今でもスニーカーを履いていきます。先週末1歳半の娘を連れて、アクアマリンふくしまに遊びに行ってきました。娘は様々な海洋生物を見て、とても喜んでいました。私はアクアマリンふくしまが再開したことや、お客の数が少ないことを聞いた時に、応援の意味で以前からずっと行きたいと思っていました。当日の朝、早めに行きましたが、すでにお客さんがたくさんいました。色々な海洋生物を見て、楽しかったです。それに、展望台からもゆっくり見ることができました。アクアマリンふくしまは本当に幅広い年齢層の誰でも楽しめるところだと思います。

私はいわきに10年も住んでいます。地震が起きた時、いわきはきっとゴーストタウンになってしまうだろうと思いましたが、それは間違いでした。この2年間、いわきはにぎわいがあり、転入者も徐々に増え、現在はキャンセル待ち(waiting list)の人もいます。いわきに避難してきて、いわきで生活を再開しようと思っている方々もかなりいるようです。いわきで生活したい理由はやはり親しみがあり、天候もよく、元の家からそんなに離れてないからだと思います。友人の話によると、この2年間だけで、いわきの人口は20,000人も増えたそうです。アパートはもう全て空きがないと聞きました。

新しい仕事もたくさん増え、新しく建築した家もたくさんあります。よろこばしいことですが、渋滞も増えてしまい、医者に行ったら、長い列で並ばなくてはなりません。いわきの人口が急速に増加しているため、生活基盤整備も早く進めばいいと思います。

No.46ジャレッド・ロジャーズさん(須賀川市・アメリカ出身/2012年12月取材)

鏡石町のALT(外国語指導助手)をするようになって7年になります。地震の時には、小学校にいて、泣きじゃくる子どもたちを避難させました。自分の家もつぶれているかと心配しましたが、電気も水も無事だったため、家が倒壊した友達を受け入れたり、水道や電気が止まってしまっていた友達にお風呂を提供したりしました。

震災直後、外国出身の友達の中には一時的に避難する人もいましたが、人が親切で温かく、自然や温泉、スキー場もたくさんある福島が好きですし、多くの友達がいるこの場所を離れるつもりはありませんでした。一度帰国した友達も、今は戻ってきています。

私は、近くの神社のお祭りや町のイベントでの神輿担ぎ、キャンプなどにも参加して、地域の人たちとは友達として付き合っています。最近では、地域の子どもたちに混じって太鼓を教えてもらったり、鏡石町のソフトボールチームに入ったりしています。震災の前に戻ると言うより、震災前以上に楽しんでいます。

No.45猪俣和美さん(会津美里町・ベトナム出身/2012年11月取材)

私は会津若松市内でベトナム料理のレストランを経営しています。子どものときに日本に来て30年以上会津地区に住んでいるので、近隣に住むベトナム出身者の方たちの相談相手になることが多いです。

東日本大震災後すぐに、ベトナム料理の炊き出しをしました。そのご縁で、会津地区に避難している方が私のレストランに足を運んでくださったり、ベトナム出身者だけではなく東南アジア出身の方たちが故郷の味を楽しみに来ては交流を深めたりしています。

No.44菅野エリさん(福島市・パラグアイ・アルゼンチン出身/2012年10月投稿)

私は、夫の故郷であるという理由の他に、自然の美しさに魅せられて福島に移り住んだと言っても過言ではない。

春には山桜が咲き、山に淡いコントラストをあたえ、東山の絵画のようになる。夏には緑があふれ、秋には可憐なコスモスが咲き、田圃が黄金に輝く。そして、静かな白い冬。

私はこんな福島が好きだ。

あの悲しい3月から1年8カ月。

町には人々が、笑顔が、少しずつ戻ってきた。

数日前、吾妻公園のイチョウ並木を散歩中、あるお母さんとかわいい兄弟に会った。

兄弟は、お父さんのためにどんぐりを拾い集めたという。

その大切などんぐりをひとつ、見知らぬ私にプレゼントしてくれたのである。

兄弟の笑顔はイチョウの黄色い光の中で優しく輝いていた。

その小さなどんぐりは私のデスクの上にあり、あのあたたかい光景を今も思い出させてくれる。

No.43佐々ベンジャマスさん(福島市・タイ出身/2012年10月取材)

夫と二人の息子と日本で暮らし始めて約4年が経ちましたが、あんなに大きな地震は初めてでした。震災のときは、ちょうど家族4人みんなが家にいて出かけるところでした。もしそれぞれが一人でいたら、もっと不安だったかもしれません。

震災後は普段親しくしてくれている人たちが私に声をかけてくれたり、相談にのってくれて、とてもありがたかったです。

放射能や原発のことはもちろん心配ですが、ニュースを見ても日本語がわからず、正しい情報が入ってこない方が不安です。ずっと日本語教室で勉強していますが、わからない日本語がまだまだたくさんあります。だから、勉強の他にも、日頃から積極的にコミュニケーションを取り、福島での生活に困らないようにしています。

No.42スコット・アルガードさん(カナダ在住/2012年9月投稿)

2001年から2004年の3年間、福島県国際交流協会で国際交流員を勤めた後、カナダへ戻り修士を獲得し、現在はアメリカのシカゴ大学にて博士課程研究生として福島県における文化と社会史を研究しています。

この9月、約2年ぶりに第二の故郷である福島県に戻り、親友と再会した後、県内各地で様々な方々がどのように「復興」を理解し、どのように取り組んでいるかを視察し、県民の皆様の様々な声も聞くことが出来ました。貴重な経験として、農場で福島の美味しい果物も頂きました!課題は多々残っていますが、今の福島県は可能性にも満ちていると強く感じました。

私自身も、これから福島県の親友と課題をいろいろ思案しながら、一歩ずつ前へ進んで行くことを楽しみにしております。

No.41ラウン・ソチャッタさん(郡山市・カンボジア出身/2012年9月投稿)

三春ハーブガーデンで。

美しい花ときれいな空気があって、食べ物もおいしくてヘルシーなのでここに来ることが大好きです。

特に、いろいろなハーブを選んで、お茶を飲むことが好きです。

No.40佐藤シャヒッドさん(南相馬市・パキスタン出身/2012年9月取材)

1987年に福島に移り住んで25年、日本国籍も取り、私は日本人として生活しています。 震災後、多くの人が南相馬市から避難してしまい、私の英語スクールの生徒数も震災前の半数以下に減りました。そのため、以前は断っていた企業の英語研修の仕事もするようになりました。

私は南相馬市で暮らし続けることを選びました。そう決めたからには、腹を据えて、ここで頑張って仕事をすることで、南相馬市の復興のために役に立ちたいと思っています。

今年の5月にはカナダで町議員をしている甥が南相馬市に数日滞在し、実際に私たちの生活を見て安心して帰国しました。10月には同じくカナダから実弟も来ます。この二人には本当の南相馬市の様子をカナダに伝えてもらいたいと思っています。

No.39佐藤ワラポーンさん(伊達市・タイ出身/2012年8月投稿)

私は家の庭でタイのハーブを育てています。食べる楽しみが増えました。

No.37後藤キャサリンさん(福島市・フィリピン出身/2012年7月投稿)

2012年7月8日(日)に「みんないきいき Festival HKF Moving Forward….」というイベントが福島市で開催されました。

福島県に住む外国出身者の皆さんが集まり、これからの福島について考え、情報交換をしました。

他県に住む外国出身の方もたくさん参加し、食べ物や音楽、ダンスなどを通して、みんな元気になりました。

No.36山本ミカさん(福島市・韓国出身/2012年7月取材)

地震大国日本での大地震、そして福島第一原子力発電所の事故…。体験したこともない恐怖とやり場のない気持ち、あの事故からもう1年4か月が過ぎました。

毎日の生活のなかで福島市に住む私は、放射性セシウムの問題が一番神経質になっています。水、野菜、肉とすべて海外からの輸入に頼るしかありません。このような毎日の生活にストレスが溜まってしまいます。

このように感じるのは私ばかりではないと思います。私のストレス解消法は、私が講師を務めるハングル語教室の皆さんと韓国に行き、ハングル語の実践をしながら、新鮮な空気をおもいっきり深呼吸して、たくさん栄養を摂って、マッサージコースを受けることです。これからも福島市に住む以上、このようなライフスタイルが今の自分に一番あっていると思っています。

No.35マーク・スミスさん(会津若松市・震災時は富岡町在住・イギリス出身/2012年6月取材)

マークさんは、今回の震災で富岡町から会津若松市に避難しています。仕事は英語教師ですが、ライフワークとして電子音やシンセサイザーを用いたエレクトロニカのライブ活動をしています。活動場所は、県内というより東京や北海道などの県外がほとんどで、この6月は会津若松市で1回、札幌市で3回のライブが予定されています。

マークさんは言います。「私は、県外でライブをする時、福島県から来たということに誇りを持ってステージに立っている。震災でいろいろなことがあったが、震災前からずっとやっていたこのライブ活動を、震災後も変わることなくやり続けることが、自分が自分であるために大切なことであるし、それこそが福島の復興だと思う」。

先般行われた3月のライブがYOUTUBEに載っています。是非見てみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=VPuBq0e5qWU&feature=channel

そのリンクからつながるページの右側にパフォーマンス「パート2」と「パート3」のリンクが現れます。そちらも是非ご覧ください。

No.34服部秀子さん(二本松市・中国出身/2012年6月取材)

震災後変わったことと言えば仕事が減ったことです。私は温泉旅館で働いているのですが、週1~2日不定期に仕事が入る程度になってしまいました。以前は中国や韓国、タイなど東南アジアからの外国人観光客もたくさんいたのですが、今はまるっきりありません。

この5月からヘルパー2級の資格を取るための学校に通い始めました。資格が取れたらヘルパーの仕事をしようと思っています。また、昨年はできなかった家庭菜園も始めました。じゃがいも、とうもろこし、キュウリを植えました。

私はここに住むことに決めました。放射線そのものよりも放射線のことを気にしてストレスを溜めるほうが恐ろしいと思います。放射線のことはあまり気にしないようにして、これまで通り暮らしていきたいと思っています。

No.33徐 秀蓮さん(福島市・韓国出身/2012年5月投稿)

最近暖かくなり、散歩が楽しみになりました。

何故かというと、うちの「サラン」という犬と一緒に散歩をするからです。

一人で歩きながら散歩をするのはちょっと寂しいですが、うちのサランと一緒だから、毎朝散歩するようになりました。

私が一番好きな言葉は、「愛」という言葉です。それで、うちの犬はオスですが、愛(サラン)と名づけました。

その言葉のように見てるだけでかわいいし、歩く姿がとてもかわいいので、散歩が好きになりました。

No.32星レニーさん(福島市・インドネシア出身/2012年5月取材)

震災前からも、近くに住むインドネシア出身の人たちが私の家に時々集り、インドネシア料理を食べながらおしゃべりをしていました。彼らは研修生だったり、看護師候補生だったり、国際結婚だったりしてこちらに暮らしている人たちです。この集まりは震災後も続いていて、新しく福島に来た人も加わりながら月1回くらいのペースで毎回十数人集まっています。

先日は、県協会からもらった放射線と健康に関するセミナーの講演録をインドネシア語に訳して説明してあげました。放射線に関しての心配はだいぶ無くなったと思います。自分で言うのもなんですが、私自身福島に住んで20年近くになることもあり、いろいろと相談しやすいらしく、彼らにとってはお母さんみたいな存在なんでしょうね。

No.31チャン・ドアン・ズンさん(福島市・ベトナム出身/2012年4月取材)

震災の時は1週間くらい断水が続いたので、毎日近くに住んでいる実家の家族と一緒に水汲みをしていました。近所にはお年寄りが多く、水汲みは難しいのです。数日してやっと母国の母と連絡が取れましたが、母は泣いていました。でも、こちらの家族もいるし仕事もあるし、すぐには母国に避難できませんでした。 最初の数か月はやはり放射線のことが気になっていました。福島産の野菜も食べることを躊躇していました。でも今では、すっかり震災前の生活に戻っています。

福島の復興の後押しができればと、逆にどんどん福島産の野菜や果物を買って食べています。

全国の皆さん、福島産のものを買ってください。福島県に観光に来てください。

No.30ガラール・アハマドさん(福島市・エジプト出身/2012年4月投稿)

2012年4月28日に撮影した二本松市の合戦場のしだれ桜の写真です。

今年、初めて桜を見ました。すごくきれいでした。

ライトアップの桜もきれいでした。

1週間しか咲かないのは本当に残念です。

No.29石田セシリアさん(福島市・ブラジル出身/2012年4月投稿)

福島市は山々に囲まれています。豊かな自然を四季折々に楽しませてくれます。昨年の大震災から再び春が訪れました。今年も駅前の花時計は春の時を刻々と知らせてくれます。それを見て、人々の花見気分は盛り上がるのでしょう。

No.28城坂 愛さん(須賀川市・中国出身/2012年4月取材)

私には就学前の子どもが二人います。震災後は、せめて週末は子どもたちを放射線量の低い会津や県外へ連れて行って外でおもいっきり遊ばせようという動きが多くあります。私も知り合いの中国出身のお母さんたちと一緒に会津方面に家族旅行し、話している中で、学校の習慣がわからない、子どもが中国語を話せない、親子の会話が難しいなどの悩みを持っていることがわかりました。それなら会を立ち上げて一緒に悩みを解決しようということになり、『つばさ』という会を作りました。今は近くの公民館で月2回子どもたちに対して中国語を教えています。会員は7~8家族くらい。子どもにはお母さんが中国出身であることを自慢に思えるような子どもに育ってほしいと思っています。

No.27森合パッサダさん(郡山市・タイ出身/2012年4月取材)

日本に来て10年くらいになりますが、あんな激しい揺れの地震は初めてでした。「これで終わり、これも宿命」と思ったくらいです。原発事故のことは日本人の友人からの連絡で知りました。幸い備蓄していた食糧や水があったので、しばらく家の外には一歩も出ませんでした。

一時期は母国に帰ろうと思いましたが、仕事もせっかく見つかったこともあり、近くに住んでいるタイ人からもいろいろ声掛けしていただいたので、「一人じゃない」と思えてここにいることにしました。もちろん原発は今でも心配です。 時々ニュースにもなっていますし。でも放射線は目に見えないし、逆に気にしていたら生きていけないので、自分自身で心と体の健康管理に気を付けています。